本を読む時間を作る -1.0

 タイトルは、「インターネットとうまくつきあう」本屋として何かできることはないかと日々考えていたことです。

 当店をオープンして以来、本の売り買いを超えて、お客さまにさまざまな形でパッケージングして提供することを思案し続けましたが、考えれば考えるほどこのテーマの広さ、複雑さに飲まれてしまい、望ましい形にまとまりませんでした。

 枯淡苑のデジタルガーデンでも走り書きが残っており、遅まきながらの第1歩として何かの形につなげるために、文章で書き連ねていこうと思います。

読書という豊かな時間が奪われている?

 このテーマについて考え始めた当初、「そもそも日本人の読書の時間は減っているのか?」という問いがありました。

 例えば文化庁による平成30年度「国語に関する世論調査」がありますが、回答者のうち7割弱が体感として読書量が減っており、6割ほどが読書量を増やしたいと考えているようです。

 上記の調査は主に紙媒体の「本」が主となる調査でしたが、「読む」と言う行為は現代社会においては非常に広範で、ネットニュースやSNSなどで時折見かける俗っぽいテキストを読むことも、カクヨムや青空文庫を読むことだって立派な「読む」の一環として捉えることができます。

ちなみに、デジタルデバイスを使って「読む」行為は2021年では1日176分を超え(令和4年版情報通信白書、第8節「デジタル活用の動向」p.4) 一層可処分時間の多くを占めています。もちろん「物理的な本を読む」と「ストリームを読む」とは異なる読み方になりますし、物理本を半ば再現する電子書籍もまた違った体験になっています。

しかしながら限られた人生と時間の中で、自発的に何を選び取って摂取するかという選択基準・判断基準やそこから得られるものは、デジタル・アナログの二項対立や、メディアの違いを細かく見ても大した差はないのでは、というのが今ある仮説です。

枯淡苑ブログ『ストリームと読書論』より引用:https://www.cotan-en.com/blogs/news/stream-and-how-to-read-books

 

 スマホの普及から約15年、「読む」をスクリーン上のテキストも含めると、その爆発的な供給も相まって、読書による情報摂取量はどんどん増えていると言って差し支えないと思いますが、その中で「個人にとっての豊かで質の高い」読書の時間が減っていることを「読書の時間が減っている」と認識する人が過半数を占める、というのが先の調査データから推し測ることもできます。

 もちろん教育・労働・経済など他の社会的要因が複雑に絡み合っていることは大前提ですが、上記の推測に基づいて、今起きていることというのは、「豊かで質の高い読書の時間が、自らのライフスタイルに落とし込めていない」ことが問題なのではないでしょうか、という仮説があります。

 

 「豊かで質の高い読書の時間」についてもう少し噛み砕いてみると、「何にも邪魔されず、純粋にテキスト(物語、詩、絵、写真、情報など、本に収まるものなら形態は問いません)と1対1で向き合える時間」が当てはまるのではないかと考えます。

 デジタル/インターネットのみに絞って言えば、他人からの電話・メール、通知を知らせる光の点滅や振動、スクリーン内で活発に動く広告など、ネットやツールのデザインとして構築された、断続的なノイズ群が顕著かと思います。

 そのノイズに「邪魔されず、純粋にテキストと1対1で向き合える時間」が確保できていれば、それは「インターネットと適切につきあうことができている読書」として前向きに捉えることもできるでしょう。

 少し視野を広げてみた時、スマホ、PC、ネットが普及しきったとも言える現代、その弊害は読書のみならず、さまざまな形をとって社会問題化しているのは事実です。

 急速に発展したネット文化やネット経済から生まれる社会的要請に加えて、個人の自己実現や金銭への欲求がネット社会、もといデジタルツールから縁を切ることのできない何重もの縛りを作り上げている。その影響は小さくありません。

 常にスクリーンを覗くようデザインされたシステムと、その依存利用が断続的に注意を奪うことで、認知コストが高い読書という活動が妨げられる、というのも理にかなっているでしょう。

 

敵はデジタルだけではない

 では、読書の妨害者たるスマホ、PC、ネットといったデジタルツール、サービスから離れることができれば読書の時間は増えるのか?

「インターネットからはなれる」ためにできることを考え続けてきた身としては、話はそうシンプルにいかず、もう少し段階を踏む必要があると私は考えています。

 なぜなら「はなれる」テクニックやツール、フレームワークを取り入れること、例えばスクリーンタイムやデジタルウェルビーイング機能を使いこなしたり、アプリやURLをブロックしたり、デジタルデトックスを数日、数週間行えたりしたとしても、本来の目的たる「読書を自分のライフスタイルに落とし込めた」とは言えないからです。

 もちろん初手として「デジタル技術・社会からはなれる術を知る」のは有効で、ある種のワオ!体験を作る上での必要性は全く否定しません。むしろどんどん広めていきたいところですが、使い所や他の着地点への接続方法も知られるべきです。

 「ネットからはなれること」だけできたとしても、「読書の時間を増やす」という目的において、まず自らの意思と裁量をもって継続的に「本を読む時間」を設けないことには、はっきりと「読書の時間が増えた」と認識することは難しいのではないのでしょうか。

 

 大前提として、「ネットからはなれること」と、「新しい習慣や考えを自らの生活に取り込むこと」は異なる取り組みです。個別の対策を持って対処されるべきと考えます。(両者で重複があることは否定しませんが、ネットからはなれてた上でしたいことがあるから、ネットからはなれたいと考えるのではないでしょうか)

 そのため、取り組む順序も「ネットからはなれること」->「新しい習慣や考えを自らの生活に取り込むこと」ではなく、「新しい習慣や考えを自らの生活に取り込むこと」->「ネットからはなれること」となって初めて後者が効果を十分に発揮するのではと思います。

 片手落ちを回避するためには、まず、ネットの有無を問わず「なんのために読書をするのか?どのような形で読書をしたいのか?」、自分の目的を明確にするという(自己啓発的な側面を持つ)ステップは不可欠な要素と思います。

 一口に「本を読む時間を作る」といっても、「誰」の「読む時間」を「どんなふうに」作るかにはたくさんの要素が絡みます。

 性別、年代、職業、読みたい本のジャンル・著者・出版社、装丁や判型、場所・文具・電子書籍など読み方のスタイル、読書で何を得たいか、本に費やせるお金、時間、ライフスタイルの変化などなどさまざまな変数があって無限大に広がります。

 細かく挙げれば、読書はあなたの人生のうち、どれだけの割合を占めるのか?家族、仕事、食事や他の趣味と比べてどの程度重要なのか?1日のうちどの程度の時間なら割けるのか?どの時間帯か?どんな場所で読みたいのか?などの問いを自らに投げ、答えを一つずつ得ることで読書の重要性や位置を明確にしていく工程が、パーソナライズされた無理のない、前向きな読書体験を組み立てるために必要と思います。

 既に多くのデジタルウェルビーイングサービス、「はなれる」ための本などが出ている中、なかなか成功例を身近に見聞きしないのは、この目的を内面化していく過程の難易度に起因するのでは、と感じています。

 当然と言えば当然ですが、自分が望ましいと思わない習慣を、より良い習慣で置き換えてあげることは、時間と労力がかかるものです。

 

 また、明確な目的意識を持って「読書のためだけの時間」を日々の生活に組み込むという意識や行動の変化がないと、「だらだらTVを見る」「職場の人間関係のせいで時間を埋められる」など、形を変えたなんとなくの浪費の誘惑や他者からの要請に飲まれ、ネットから離れることで生まれたせっかくの余暇を奪われてしまいます。

 既に社会生活の中に組み込まれている社会のルール・慣習、人間関係、労働や学習環境、可処分所得や時間などといった、個人ごとに異なる制約とのバランスを整えること、そのためにはデジタルに限らない、地道で古典的な術やタスクに取り組むこともまた重要です。

 稚拙な例えですが、事前に読書時間のスケジュールをブロックしたり、そのために家族との生活時間を合わせたり、普段から本を持ち歩くと言う習慣づけからスタートする必要があったり、自身や周りの行動を無理のない形で継続的に調整することも並行した上で、少しずつ「本を読む時間を作る」ことができる自分、もといライフスタイルを構築していくことが着実な道と思っています。

 「時々ネットからはなれ、時々積極的に読書時間を増やしていく」、それも一つの策でしょう。

 自分もしばらくそれでも良いのではないかと考えていたこともありましたが、本来の目的との曖昧かつ繊細な差分によって「読書の時間が増えた」と率直に自己評価できないモヤモヤは無視できませんでした。

 私が求めすぎているきらいがあるのは承知していますが、「本を読む時間を増やしたいと強く望む人」には、「はなれること」のさらに先まで押し進める必要性を強く感じています。(これは統計もお客様の声も、何も根拠もなく私がそう思うだけの話です)

 本の売り買いはもちろん、そのような人々に応えて「豊かで質の高い読書の時間を、自らのライフスタイルに落とし込む」お手伝いもするのが私がなりたい本屋像なのです。

 

終わりに

 まとめに入りますと、「理想の読書像の具体化」と「自己裁量による読書時間の確保」の2つに取り組まない限り、満足のゆく読書時間を得ることは難しいのでは、というのが本稿にある持論です。
(よりドライに大雑把に言ってしまえば「特定の行動のために、自己と他者を巻き込んで定期的に時間を作る」ことでもあります)

 それは「何にも邪魔されず、純粋にテキストと1対1で向き合える時間」をコントロールする術を習得する、つまるところ「ライフスタイルに落とし込むこと」が、読書時間を増やすという目的の行き着くところ、いわば無益なデジタルコンテンツ消費を抑えた先に向かうべき着地点ではないでしょうか。

 

 一方でデジタルが助けてくれることもあります。膨大な情報量とリアルタイム性、双方向性はさまざまなメリットもあります。

 ただしそれは、これまで書いた考えを踏まえると、あなたの生活や人生の中で読書をどのように位置づけるかを決めた上で、デバイス、サービス、アプリといったツールをどう使っていくか、どう読書をサポートさせるのかを考え、それら手段を普段の生活に組み込んで、ようやく自らの裁量で読書の時間を増やすことにつながるのでは、と思います。

 無理をせずにインターネットとの穏やかな関係性を作る、と同時に、ライフスタイルとしての読書習慣を身につける。まずはそこまでを、枯淡苑としてサポートできればと考えている部分です。

 

 恥ずかしながら、こう偉そうなことを言っていながら、環境の変化などもあり当店の店主も未だに読書時間を思うように確保するのは苦労しています。
 そして、巷にあるネットからはなれる方法に矢継ぎ早に取り組んで数多く失敗しているのが私です。

 それでも今はだいぶ改善しましたが……「インターネットとうまくつきあう」を標榜する本屋としても、誰かの「本を読む時間を作る」ために具体的な活動に落とし込めてないところが自己矛盾だと感じています。
 個人によって大きく異なる状況に対して、個別の解を見出すのがどれだけ難しいか、日々打ちのめされるばかりです。

 

 このテーマに気づいてから自分なりに模索・実践しながら読書時間を増やすこと、ライフスタイルに落とし込むことに奮闘し続けて行き着いたこの見解が、ここで書いている課題感です。

 本稿は当店のオピニオンでもあり、現時点で取り組みたいことの大枠の課題設定でもあります。今後、このお題について根掘り葉掘り探りを入れ、皆さんとどう取り組んでいけるのかを熟慮し、枯淡苑らしい形を持って産声を上げることができたらと思案中です。

 どんなものを見聞き/体験してきたのか、これから具体的に何に取り組んでいる/取り組もうとしているか、また追って共有したいと思います。

 

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