読書感想文「操られる民主主義 デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか」(ジェイミー・バートレット/秋山勝、草思社)
本書はテクノロジーが民主主義の脆さを突いて、徐々に蝕まれている現状を知ることが主目的の本であって、銀の弾丸となる処方箋がある本ではない。
本書は、(当然と言えば当然なのだが)民主主義社会とは、それそのものに固有の原理原則があり、テクノロジーの原理原則とも異なるため相容れない部分も相当にあるということ、つまりはテクノロジーの便益に委任しすぎてはいけない重要な分野でもあるということをあらためて思い出させてくれる。おそらく「政治は重要」と真に考える人にこそ、どこまで政治家やわれわれ一般市民がテクノロジーへの委任・委託・依存をしてしまっているのかを問い詰めてくる本かもしれない。
価値観やアイデンティティから生まれる「怒り」を軸に結ばれる"部族政治"となって政治に対する意見が二極化/分断してしまう構造、ビッグデータを使ってSNS、検索エンジン、ウェブサイトなどの広告から意見を変容させるマイクロターゲティング、デジタルテクノロジーを通して既存の産業や制度を破壊して進歩と自由を得ていく"カリフォルニアン・イデオロギー"の話などは印象的で、2026年においてはすでに、「特に看過されないあるある」の状態であるように感じた。読み進めるごとに、規模が大きいほど目立つテクノロジーのデメリットの非可逆性、要は後戻りできない弊害については目を瞑っている自分の姿勢に気付かされる。
(一方で、よく耳にする「テクノロジーの力で社会問題を解決する」という決まり文句には個人的に辟易している)
全体的に語り口はドライで、著者の危機感、特に現在までとその半歩先の未来の危機について語られている。
エピローグに出てくる20の提言はコンパクトにまとめられていて、「結論」の項目で書かれる悲観的な未来に対して生まれた希望や可能性のシナリオとして読んだ。なぜ提言がそうなったのか、根拠や意図を深く読みたい箇所でもある。
話題は逸れるが、AIが身近となった今に読むと「自分がどこまで人間味溢れる状態でありたいか?人間味溢れる状態であるべきか?」という問いがここしばらく真横に浮かび続けていたことに気づく。
(本書にパーソナルアシスタントとしてのAIを使う未来図が書かれているが、だいたい今の状況と合致している)
先日Cal Newportのpodcastをyoutubeで見ていた(Rules For Deep Work — Updated for 2026 | Cal Newport - YouTube)とき、「自分の仕事(文書作成など)でAIに頼れと周りに言われるが、AIを使うべきか?」「AIを使ってアカデミックキャリアを伸ばす人が身近にいるが、どうなのか」という質問に対し、怒りを隠さずまくし立てていた。
(仕事に関しては生産性の誤解もあるが)彼いわく、「読むこと、考えること、書くこと」は、どのステップも取り除くことはできない価値を作るサイクルであり、人が賢くなる有効な方法であり、もっと人間らしい営みの一つだと言う。
反シリコンバレーな経営で知られるIT企業の37 signalsのJason FriedもAIに自分の文章を書かせるなと言っていた。
おそらく今後もAI・自動運転などの最新技術に作業や思考を委任していく流れは加速していくだろう。
それでも、以下の2点を念頭において自分なりの分別を持っておきたい。
- テクノロジーの介在が適した分野はなにか?(ex. AIに自らの政治判断を助けてもらうことで、私(たち)はより良い未来への選択ができるか?)
- 自分らしさを見失わないという点で、どこまでテクノロジーに思考や表現を委任すべきか?